1990年から2010年までの20年間、マーケットの変化とともに、
NIRI(全米IR協会)も大きく変化しました。
その歴史の一部を紹介します。
▼ ガバナンス
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1990年は投資家アクティビズムが脚光を浴び始めた年でした。
すでに、ガバナンス関連285件、社会的課題関連290件の
株主提案が行われていました。しかし、株主アクティビズムと
ガバナンスの関連は認識されておらず、多くのIR担当者は
プロキシー関連の活動に関与していませんでした。
・1998年、NIRIの会長はガバナンスが機能しているかを
テストした上で経営陣に報告する必要性を指摘。
・2000年、IROの多くがガバナンス関連の活動を年間を通して実施。
・2007年、アクティビスト、投資専門家、メディアとのトラブルに、
IROを通じて早めに対応する必要性が提案される。このような
トラブルが今後発生する大きな問題の警告サインであることが
認識されはじめた時期。
▼ 情報開示に向けた環境作り
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NIRIは90年代に、情報開示についても働きかけています。
1994年にNIRIが実施した調査では、多くの企業が株主からの
訴訟を恐れるあまり、情報開示は法務部が中心に担当しており、
開示は最小限に留めることが一般的でした。NIRIは、情報を
開示することが公正な株主評価への唯一の道であると考え、
より優れた開示を実現するための環境を整えると同時に、
書面化されたクリアなIR方針を作成するよう企業に働きかけていきました。
企業が投資家向けに将来に関する情報を開示するためには、
投資家からの訴訟を恐れずに済む環境が必要でした。
1995年、Private Securities Litigation Reform Actが議会を
通過しました。これにより、無駄に訴訟を恐れる必要がなくなり、
投資家コミュニティにとって必要な情報を開示しやすくなりました。
相手をけむに巻くIRから、コミュニケーションをとるIRへと変わる
ターニングポイントでした。
1998年には、当時のSEC会長によって、株式市場をすべての
市場参加者にとって平等な場とするための複数年プロジェクトの
開始が宣言されました。NIRIはこの動きに協力すると同時に、
アナリストと投資家の開かれた会話を実現する規制作りに
向けてSECのサポートも実施しました。その結果、2000年、
ついにRegulation Fair Disclosure(Reg FD)が施行されました。
その後、NIRIは規制の解釈やプロセスに関する情報の普及、
IROが各々の企業でこの規制を導入するサポートに焦点を当てて
活動しました。
▼ 不況時の情報開示に改善の兆し
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2002年9月には、世界は不況に見舞われ、米国の投資家は
市場価値にして $7.3兆ドルを失いました。景気の先行きが
不透明であった2003年、多くの企業が将来の予測に関する
情報の開示を中止しました。コカ・コーラなどの大手でも、
業績予想の発表を中止しました。公正な市場を維持するにあたり、
重要な情報の開示が滞ってしまうことは大きな痛手となります。
NIRIは「IR in Tough Times」と題した資料を作成し、
チャプターミーティングやウェビナーで共有することで、
投資家に対して役に立つ情報を透明性を持って
提供することの重要性を引き続き主張しました。
この活動の成果は、2008年のリーマンショックの際に現れました。
当時、多くの金融機関が機能不全に追い込まれ、
18か月に渡る不況となりGDPは5.1%下落、S&P 500は
企業価値の50%を失いました。しかし、今回は、多くの企業が
オープンな情報開示を続けました。2009年5月にNIRIメンバーに
対して行った調査では、60%の企業が業績予想を
行っていました(2008年は64%、2007年は51%)。
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◆ 参考・出典一覧
IR Update Summer 2019
『1990 to 2010: “The More Things Change…”』